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仙台地方裁判所 昭和33年(ワ)235号 判決

原告 株式会社大原商店

右代表者代表取締役 大原弘

右訴訟代理人弁護士 高橋万五郎

右訴訟復代理人弁護士 太田幸作

被告 三浦敏子

被告 三浦勝男

右両名訴訟代理人弁護士 浅見公平

主文

被告等は、連帯して、原告に対し金六万円および内金三万円に対する昭和三十三年六月三十日より、内金三万円に対する同年七月三十日より各完済にいたるまで年六分の割合による金員を支払うこと。

原告その余の請求は、棄却する。

訴訟費用は、これを三分し、その二を原告の負担とし、その余を被告等の負担とする。

この判決は、原告において被告等両名に対し金二万円の担保をたてるときは、仮りに、これを執行することができる。

事実

≪省略≫

理由

先ず、被告等の訴変更の異議について、判断する。

原告がはじめ被告等に対し金十八万五千四百五円の商品売掛債権を有すると主張して、同額の金員の支払いを求めていたが、その後昭和三十五年八月十二日午後三時の口頭弁論期日において、右債権の弁済方法として振り出された本件各約束手形上の債権を理由として、金十八万円の支払いを請求するにいたつたことは、記録上明らかである。ところで、請求原因としての手形の原因関係債権を手形債権に改め、或いは逆に手形債権を原因関係債権に改めても、これをもつて直ちに請求原因の変更と断定することについては、疑義なしとしないところである。蓋し、手形債権が原因関係債権から捨象された抽象的な無因債権とされているのは、手形金の請求を容易にし、延いては手形の流通性を円滑ならしめんとする法技術的考慮によるものである。この故に、手形所持人はその原因関係債権とは無関係に別個の訴訟で手形債権に基き手形金の支払いを請求し得ることはいうまでもない。しかしながら、手形債権と原因関係債権とは、かように別個独立の請求権であるとはいえ、法はこれら両請求権に基く二重の弁済までも容認しているものでないことを看過すべきではない。手形金の支払があれば原因関係債権は当然消滅し或いは逆に原因関係債権の弁済によつて手形債権が当然消滅するのは、所詮両請求権は、経済的には一個の利益と目すべき一定の金銭給付の実現に向けられた法的手段にすぎないことを、物語るものである。従つて、実体法上は各独立の請求権であるこれら両債権も、同一訴訟において主張される場合には、当該訴訟によつて解決さるべき紛争――すなわち訴訟物――は一定の金銭の支払いを求め得る法的地位という一点に尽きるものであるから、むしろ、各別の請求原因となることなく、単に当該請求を理由あらしめる主張にすぎず、両請求権相互の間の交替は、請求原因の変更ではなくして、攻撃方法の変動にすぎないもの、と解するのを相当とする。また、請求の趣旨の減縮にしても、本件訴訟の訴訟物を前叙のごとく解する以上、その請求の金額は単なる給付請求の上限を画するにとどまるものとなるので、その減縮は、訴訟物の変更を招来することなく、厳格な意味での請求の趣旨の変更ないし訴の取下に該らない、と解するのを相当とする。よつて、被告等の右異議は、その理由がないもの、といわなければならない。

次に、本案について審究するのに、被告等が共同して昭和三十三年三月十九日原告に宛て金額合計十八万円になる本件(1)ないし(4)の約束手形を振り出し、原告が右(1)の約束手形を支払期日たる同年四月三十日支払場所の岩手殖産銀行大船渡支店に呈示して支払いを求めたが、その支払いが拒絶されたことは、当事者間に争いがない。

そこで、被告等の抗弁について、判断する。

この点に関し被告等はまず、本件各約束手形の振出行為は原告の強迫に基く意思表示であるから、法律上当然無効ないし取り消し得べきものである、と主張する。しかしながら、いずれも成立に争いのない甲第一号証≪中略≫によれば、被告敏子は昭和三十一、二年頃より卸売業者である原告から既製服、洋品類等を仕入れ、小売商を営んできたが、昭和三十二年三月十七日現在で原告に対し金四十八万九千三百五十五円の買掛残代金債務を負担していたこと。しかも、それまでの支払状況は、取引開始当初はともかくも、半年位してから次第に滞りがちとなり、昭和三十二年一月及び同年十一月の二回にわたり交付した訴外及川慶之進振出しにかかる合計金三十五万円の約束手形三通はいずれも不渡りになり、重ねて昭和三十三年二月二十八日支払期日を同年三月十五日とする金額四十八万九千三百五十五円の約束手形を振り出したが、これまた不渡りになつてしまつた。しかるに、その間同被告はもとよりその長男で店の実際の経営に当つていた被告勝男においても、原告に対し何等の誠意をも示すことなく、却つて、同年三月十七日三陸沿岸地方に出張中であつた原告の店員柿沼昭蔵及び菅野武男等が商用の途中右不渡りになつた手形金の請求に赴いたのに対し、「いまは来客があるので、夜十時半頃にきてくれ」、「明日夕方までに金を都合しておく。」等と遁辞を弄し、同人等を一日待たせておきながら、一部の入金さえもしなかつたこと。そこで、翌十八日午后十時頃右柿沼等は、「資産状態を確認しておきたいので、商品の棚卸しをさせてもらう。」といつて店頭の商品の調査をはじめ、原告会社の代表者と電話で連絡をとつたうえ、商品を二台の小型トラツクに積み込み、被告等が泣いて制止したにもかかわらず、翌十九日午前三時頃遂にこれを原告会社に持ち去つてしまつたこと。かくして、被告等はその善後措置に窮し、前記及川慶之進及び遠藤章吾に相談し、同日早朝八時頃同人等とともに大船渡区検察庁に知人を訪ね、その足で盛警察署にも行つて、実状を訴えたところ、民事訴訟を出すことをすすめられ、また「今後何か起つたら連絡するように。」といわれたので、帰宅早々その帰りを待つていた右柿沼等より「前夜返品を受けただけではまだ不足額があるので、残つている商品で決済してもらいたい。」と迫まられて、残品まで持ち去られる気配を察知するや、同被告は右遠藤とともに近くの巡査派出所にかけつけ救援方を依頼し、巡査の来援は得られなかつたとはいえ、右柿沼及び菅原の両名が同派出所に呼び出され、係巡査より被告等の同意を得ないで商品を持ち去ることは違法であるから穏便に事を解決するように、と悟されたこと。その後、被告等の店で前記四名が話し合つた際、柿沼は残額について手形を入れることを要求したのに対し、被告等より、遠藤の口添えで後段認定のごとく残額のうち千以下の端数を免除し四回払いの手形にすることを認めてもらいたい、と懇請し、柿沼等の同意を得たので、本件合計金十八万円になる四通の約束手形を振り出すにいたつたものであること、を認めることができ、右認定に抵触する証人柿沼昭蔵、菅野武男及び被告三浦勝男本人の供述部分はその他の前掲各証拠に照らしてにわかに措信し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。しかして、これら認定の諸事実よりすれば、被告等が本件各約束手形を振り出すにいたるまでの間には、原告の使者たる柿沼昭蔵等による債権取立の方法が余りにも性急で、権利行使の範囲を逸脱したきらいもあつて、被告等においては、幾分窮境に陥つた心情の程は窺い得られるけれども、まだもつてその意思決定の自由まで妨げられたものとは認め難く、従つて、本件各約束手形振出行為を目して強迫に基く意思表示だと主張する被告等の右抗弁は、これを採用するに由ないもの、といわなければならない。

次に、相殺の抗弁について検討するのに、原告がその店員をして被告等主張のごとき経緯のもとに被告敏子所有の商品を持ち去らしめたことは、前段認定のとおりであるが、かくのごとく、債権者が債権取立のためとはいえ、債務者の意思に反してその所有にかかる商品を持ち去ることは、その間にいかなる事情があつたにしても、明らかに、法の認めた権利行使の範囲を逸脱し、不法に債務者の権利を侵害するものであるから、原告は被告敏子に対し商品を持ち去られたことによつて生じた損害を賠償すべき義務があるもの、といわなければならない。ところで、被告等は、原告に持ち去られた商品の仕入価格が合計金四十二万六千九百七十四円であるところ、原告はこれを金三十万三千九百五十円と見積り返品として処理しているので、被告敏子は原告に対しその差額金十二万三千二十四円の填補賠償請求権を有する、と主張する。しかしながら、証人柿沼昭蔵の証言により真正に成立したものと認める甲第二号証並びに証人柿沼昭蔵、及川慶之進、遠藤章吾の各証言によれば、前叙のごとく柿沼等は商品を持ち去るにあたり、「返品受明細」と題する書面を作成し、それに持ち去つた商品の総合計金額を「三十万七千三百六十円」(但し、三十万三千九百五十円の誤算)と記入して、これを被告等の急報でその場に駈けつけていた前記及川慶之進に渡して帰つたのであるが、被告等は、本件各約束手形を振り出すにあたり、右柿沼より「返品金額は前夜置いていつた返品受明細書に記載しているとおり金三十万七千三百六十円であるので、これを控除してなお売掛金の帳尻残が金十八万一千九百九十五円になる」といわれたのに対し、持ち去られた商品の評価額が同人の主張するとおり金三十万七千三百六十円であることについては何等の異議をもとどめることなく、却つて、同人より示された右の計算関係を是認したうえ、同人に対し前夜使用した電話の通話料をもらつていないから売掛金は金十八万円にまけてもらいたいと申し出た事実があること、を認めるのに十分であり、被告三浦勝男本人尋問の結果をもつてしても右認定を左右するに足らず、他に右認定の妨げとなる証拠はない。従つて、持ち去られた商品の当時における客観的評価額が果して幾何であるかを審究するまでもなく、被告等は持ち去られた商品の填補賠償としては、金三十万七千三百六十円以上の金額を請求する権利を放棄したものと認むべきであり、また被告等がすでに原告において右金額の限度において被告敏子に対する売掛金債権を減殺したことを自認しているのであるから、被告等の右主張は、失当たるを免かれない。

ところで、被告敏子は既製服、洋品類等の小売商であることからして、同被告が前叙のごとく商品を持ち去られたことによりそれを他に売却することができず、これがためその得べかりし小売価格と卸売価格との差益利得を喪失するにいたつたことは、みやすいところであり、右商品の卸売価格が金四十二万六千九百七十四円であることは、成立に争いのない乙第一号証の一ないし六四、被告三浦勝男本人尋問の結果によりいずれも真正に成立したものと認める乙第二ないし第四号証に徴して明らかであり、また既製服、洋品類における小売価格と卸売価格との差益が大体三割ないし五割、最低二割のものは極く少数であることは、原告会社代表者大原弘本人尋問の結果によつてもこれを認めることができるので、被告敏子の利得損害額が金十二万円であるとする被告等の主張は、これを首肯するに十分である。

よつて、被告等の相殺の抗弁は、右金十二万円の限度においてのみこれを認むべきである。

果して然らば、原告の本訴請求は、金十八万円より右金十二万円を控除した金六万円及び内金三万円に対する前記(3)の約束手形の支払期日たる昭和三十三年六月三十日より、内金三万円に対する前記(4)の約束手形の支払期日たる同年七月三十日より各完済にいたるまで手形法所定年六分の割合による遅延利息の支払いを求める限度において、理由があるのでこれを認容し、右限度を超過する部分は、失当として棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 渡部吉隆)

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